フランス、始まりは2016年の3月だから8年前のこと。最初の街はリヨンだった。学生時代に縁もゆかりもなかったけれどフランスに住んで語学の習得に日夜奮闘していた。一旦は大学の卒業に向けて帰国し、その後はパリへと渡った。忌まわしいパンデミックの影響で、2020年からの記憶は日本で引きこもって過ごしていたからあやふやとしている。そんなこんなでフランスと縁が切れたのかというと水面下で少しずつ動いてはいて、2年の遠距離を経て昨年仏人夫と結婚をした。
フランスに住んでいるまたは住んだことのある人間の「フランスは…」を聞くことがある。そんな時思うのは、この人から見たフランスはこうなんだというもの。皆が同じ感じ方では無いということを除けば、どのように滞在したかで同じ人間でも感想は変わってくる。観光者として、学生として、社会人として、出張で、どの町に、季節は?そのどれもが要素となって想い出が生成されるのだから、見てきた人間の言っていることに嘘偽りはないけれど十人百色の「フランスは…」を聞くのは至極当たり前のことなのだろう。
さて、私は今後、フランス人の妻としてもしくはフランス人の母親としてフランスを見ることになる。おもしろいもので、今現在も、心境は日々変化している。
マルセイユというフランス人の目にゴミのように映る街で私は暮らしている。実際に、ゴミは散乱していて”花の都”パリといい勝負ができるほどには汚い。街を歩けば、犬のcacaだとかネズミの死骸とかマットレスとかが目に付くわけでこれがいつ何時も目に付くのだから参ってしまう。とは言え、フランスに住んでから私の目には自動保護フィルターが備わったので見たくないものを見た時はフィルターによってぼんやりと脳に伝えられる。実に便利である。ネズミといえば、実はマルセイユで生きているネズミを見る機会はパリに比べて少ないのだ。これはネズミを捕食するゴエロン(大型のカモメ)が住んでいるからだという。実に生き生きとした街である。
マルセイユでは主に3つの音を聞く。ゴエロンの鳴き声、人々の会話、そして車のクラクションだ。兎にも角にも車のマナーは酷いものでちょっとでも車が進まなければブーブークラクションを鳴らす。最悪なのは、誰かがブーと鳴らしたら、それに答えるように、他の人がまた鳴らす。それも1人2人なんかじゃない。あいにく私の家は道路に面しているので、1日に何度も聞かなければならない。だから「あーうぜぇ。少しは黙ってくれよ」と口悪く戦線往々している。あとは、人々の会話は基本的にうるさい。うるさいというか、声が大きくてどこででも喋っている。でも、良いんだよそれで。詰まるところ、コミュニケーションに事欠かない暮らしというものは悪くないのである。
エックスやアルルで数日過ごしてから帰ると、マルセイユでいかに気張って生きているかを実感する。慣れてしまうと特に感じなくなってしまうから怖い。だが、マルセイユにも良いところはたくさんある。なんと言っても海が青々として綺麗なのだ。私のお気に入りはラ・コーニッシュという場所で、海が一望できる。透き通る青々とした海は広く、街の汚さと対比するかのようにキラキラと美しい。もし誰かが、「この海景色を守ることに精一杯で街のゴミまで手が回らないんだよ」なんて言ったらすんなりと信じてしまいそうだ。マルセイユを訪れて、ラ・コーニッシュで過ごしてばかりいたら人々のマルセイユに対する印象は相当変わってしまうだろう。
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